Miki
自分を責める
熊本のカウンセリング、Mental Office ココカラです!
突然ですが、あなたは「自分に厳しい」ですか?
それとも「自分に甘い」ほうですか?
ビジネスや学業など様々な場面で、ストイックさや責任感が求められる現代社会。
「まだまだ自分は未熟だ」「これじゃダメだ」などと、自分を責めるクセがついてしまっている方も少なくないのではないでしょうか。
確かに自分を律せるということは「すばらしいこと」ですが、
その厳しさが行きすぎてしまうと、ストレスのもとになったり、かえって自分のパフォーマンスを押し下げてしまうこともあります。
今日は、自分自身を責め・追い詰めてしまうクセを解消し、少しでも心をラクにする方法について学んでみましょう。

▶︎ 自分を責めてしまう7つのケース
そもそも、私たちはどんなときに自分自身を責めたくなってしまうのでしょう。
以下に7つのパターンとしてご紹介します。
1. 誰かを傷つけてしまったとき(加害者の心理)
まず1つめは、つい相手にひどいことを言ってしまうなどして、自分が加害者になったと感じたとき。
私たちは「あんなことしなければよかった」という罪悪感を抱き、自分を責めることになります。心の優しい人ほど、この「加害者の心理」に苦しめられた経験は多いのではないでしょうか。
2. 自分の無力さを感じたとき
自分の無力さを感じたときにも、つい自分を責めてしまいがちです。
仕事でミスをしたときや、試験などで思うように点が取れなかったときなど、「どうして自分はこんなこともできないんだろう」と後悔を引きずってしまうことは、誰しもあると思います。
この「無力感」に起因する罪悪感が行きすぎると、「今日の飲み会が盛り上がらなかったのは自分がいたせいじゃないか」など、被害妄想的な自責の念に苦しめられてしまうことも。生真面目な人、責任感の強い人は特に注意しましょう。
3. 何もしていないことへの罪悪感
3つめは「勉強をサボってしまった」「後輩が悩んでいるのに何もしてあげられなかった」など、やるべき行動を果たせなかったときに罪悪感を覚えるパターン。
前述の「無力さに対する罪悪感」と似ていますが、「何もしていないことへの罪悪感」は、自分の能力に対してではなく、自分が選んだ行動に対して罪悪感を抱いていると言えます。
4. 自分が恵まれすぎていることへの罪悪感
贅沢な悩みではありますが、「自分の環境が恵まれすぎている」と感じたときにも、罪悪感を覚えがちです。
たとえば、ドキュメンタリー番組などで、貧しい国に生まれた子どもたちが大変な思いをして日々生きている様子を観ると、少なくとも寝食には困らない自分の環境と比較して、「なんだか申し訳ない」という気持ちになることがありますよね。
よく「セレブが慈善団体に巨額の寄付をした」というニュースを見聞きしますが、ひょっとするとその動機のひとつには「自分は恵まれすぎている」ことによる罪悪感もあるのかもしれません。
5.「自分は汚れている」という思い込みからくる罪悪感
さまざまな罪悪感によって、自分を責める習慣が染みついていった結果、自分の存在そのものに対して罪悪感を覚えてしまう人もいます。
つまり「自分はダメな人間だから、どうせこの先も幸せになれないんだ」などと、根拠なしに思い込んでしまっているケースです。
罪悪感の具体的な原因があるわけではなく、意識の深いレベルに思考が染み込んでしまっているぶん、改善するには困難が伴いやすいでしょう。
6. 身近な人に由来する罪悪感
なかには、親やパートナーなど、身近な人が背負っている罪悪感に影響されてしまうケースも。
たとえば、身近な人が「私のせいで○○になってしまった」と自分を責めているのを見て、「あなたのせいじゃない。悪いのは私だよ」と、相手の罪悪感を一緒になって背負ってしまうことがあります。
7. 宗教思想に起因する罪悪感
信仰している宗教思想などに由来する罪悪感もあります。
たとえばキリスト教には「人間は生まれつき罪を背負っている」という考え方(原罪)がありますし、仏教でも「欲を捨てなさい」と説かれます。
したがって、敬虔に信仰を守っている人の中には「自分は罪深いんだ」「自分の素直な欲望は、悪いものなんだ」という意識をもってしまう人もいるのです。

▶︎ 自分を追い詰めることのデメリット
冒頭でも述べましたが、自分を責めすぎると精神的なストレスが大きくなり、仕事や人間関係におけるデメリットも生じるケースがあります。次は、その具体例を見ていきましょう。
デメリット1. 適応能力が下がる
自分を追い詰めるクセがあると、新しい環境や不慣れな仕事に対して弱くなってしまう恐れがあります。
自分を追い詰めがちな人や完璧主義な人は、未経験の状況を前にしたとき、失敗への恐れから強い不安を感じやすいため、自己批判を繰り返したり、仕事を先延ばししたりしてしまう傾向が強いと言われています。
あなたにも仕事や勉強、趣味などで「今は忙しいから、まだ始めるべきじゃない」「今始めてもどうせ続かない」などと思っているうちに、いつまでもチャレンジできずにいるモノがありませんか?
もしあるのであれば、それは、失敗したり長続きしなかったりした場合に、「これだから私はダメなんだ」と自責してしまうのを恐れているのかもしれません。
デメリット2. 周りの人にもストレスを与えてしまう
自責グセ(罪悪感)が強い人は、過度に自己犠牲的な振る舞いをしてしまうため、かえって周囲に気を遣わせてしまうことがあります。
先ほど「自分を責めてしまう7つのケース」で紹介した「身近な人がもっている罪悪感を受け取ってしまう」場合の反対で、自分がもっている罪悪感によって、ほかの人に対してネガティブな影響が及んでしまうこともあるのです。
たとえば、Aさんを飲み会に誘ったときに「私がいたら盛り上がらないと思うから、みんなだけで楽しんできて」などと返されてしまったら、どう感じるでしょうか。
自責傾向の強いAさんとしては本心からの配慮だったのですが、周りの人は「Aさんにそんなに気を遣わせてしまって、こちらこそ申し訳ない」という罪悪感(あるいは不快感)を感じてしまうはずです。
もっともこれは極端な例で、実際には、Aさんのようにはっきりと口に出す人は少ないかもしれません。とはいえ、「私なんかが」「私のせいで」と自分を卑下していると、話している相手にもかえって気を遣わせてしまい、お互いに疲れてしまうことが多いのは事実です。
「自己犠牲」や「謙遜」は一般に美徳とされていますが、程度が過ぎるのはやっぱりよくないものです。
▶︎ 自分をいたわろう
自責グセを改善するのに役立つものは、「自分への思いやり」です。
自分をいたわることの原則は『あるがまま』を受け入れることにあります。
自分を責める気持ちが起きるのは、「自分はこうあるべき」「こうするべき」という理想を追い求めてしまう「べき思考」という考え方の癖を持っていて、その理想と自分のギャップに苛立つことが原因だったりします。
したがって「不完全な自分」をあるがままに受け入れることができれば、自分を責めすぎて傷つくこともなくなるという考え方です。
そもそも、自分が描く「こうありたい」という理想像は、ちょっとしたことで崩れ去ってしまうような虚しいものだったりもします。
たとえば、せっかく自分なりにカッコいいと思う姿を見せられたと思っても、周りから思ったような反応が得られなかったり、冷笑されてしまったりしたら、理想の自分像はあっけなく崩壊し、さらに大きく自信を喪失してしまうでしょう。
つまり、無理に「理想の自分」を追いかけようとするよりも、まずは、手元にある等身大の自分を受け入れ、自分をいたわる気持ちをもつことで、不安感や焦燥感を手放す。
これが、「自分をいたわる」ということです。

▶︎ マインドフルネス瞑想で自分をいたわってみよう
自分自身に対して、慈悲(優しさ)をかけながら瞑想を行なってみましょう。
以下3ステップで、具体的な方法をご説明します。
1. 身体をリラックスさせる
心を整える準備段階として、まずは、身体からリラックスさせていきましょう。
自分なりに楽な体勢・姿勢になります。ちなみに通常の瞑想(マインドフルネス)では、ベッドに寝そべったり、椅子やソファにゆったりと腰をかけたりする姿勢で行います。
体を締め付けるベルトや紐類は体から外しておくほうが良いでしょう。職場や学校などで行う場合はできる範囲で「リラックス・モード」を演出しましょう。
2. 慈悲のフレーズを唱える
リラックスできたら、自分をいたわる言葉を心の中で唱えましょう。
推奨されるフレーズは、「私が安全でありますように」「私が幸せでありますように」「私が健康でありますように」「私の悩み苦しみがなくなりますように」の4つです。
この4フレーズを、自分が心地いいと感じる間隔で、繰り返し唱えるのがポイントです。
もし気が散ることがあっても、そこに注意を向けず、気にせず、再びフレーズの繰り返しに戻ってください。
3. フレーズの対象を他者に広げていく
慈悲のフレーズによって、自分に対するいたわりの感情が沸いてきたら、徐々に慈悲の対象を他者へと向けていきましょう。
大切な人→親しい人→ただの知人→嫌いな人→知らない人……と慈悲の対象を広げていき、最終的に「生きとし生けるものすべて」に慈悲の心をもつことができれば、立派なお坊さんですね。
ただリラックスして言葉を唱えるだけ…?と、思われるかもしれませんが
実際にやってみると、自分を許す優しい気持ちが湧き上がってくることが実感できるはずです。
忙しくて心がすさんでいるときや、自分自身を追い詰めてしまっているときには、ぜひ時間を確保し、ゆっくりと自分をいたわってみましょう。
